Cha-ble_Vol19
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12行きそこなったパリの「迢市場」 パリの南部、セーヌ河左岸の13区にヨーロッパでも有数な中華街がある。かれこれ30年も前のことになるだろうか。車で通りぬけた時、漢字で書かれた「迢市場」というネオンが目に入った。一瞬、思考回路が停まったが、すぐに「ああ、スーパーマーケットだ」と気が付いた。異郷の地で漢字を見つけると、思わぬ感興が湧くものだ。パリと中華街の取り合わせは、今でも情景が浮かんでくる。 戦後の中流家族の生活や風俗史の貴重な史料的価値がある新聞漫画として、チック・ヤングの「ブロンディ」と長谷川町子の「サザエさん」が挙げられる。チリチリにパーマを掛けたブロンドの髪が特徴のブロンディ夫人と、いつも尻に敷かれている夫のダグウッドの日常は、あらゆる物資が不足していた当時の日本人にとって、まさに「夢物語」だった。豊富な家庭電器製品の中でも、大型冷蔵庫は憧れの的で、ダグウッド家がスーパーマーケットで大量に求めた食料品は、自動車と電気冷蔵庫が必須であることを証明していた。アイスクリームを家庭で保存できるのが信じられなかった。電気冷蔵庫からハムやチーズ、野菜を取り出して作るぶ厚い「ダグウッド・サンド」は、まさに垂すいぜん涎の食べ物だった。そんな昭和28年に、東京の青山に日本で初めて、セルフサービス・スタイルのスーパーマーケット、紀ノ国屋が開店する。 一方「サザエさん」に登場するのは近所の魚屋さんと八百屋さんで、勝手口からご用聞きに来ることもあるし、一家とは顔なじみだ。家族構成はもちろん、全員の好き嫌いまで熟知している。店とお客の間に「会話」がある。 スーパーで、買いたいものを篭かごかカートに入れてレジへ運ぶのと大違いだ。最近はバーコードの読み取り装置によって、商品が売れる時間帯から、天候の影響まで一瞬のうちに本部で掌握し、在庫管理ができる。またポイントによる顧客へのプレミアムも瞬時に計算され、電子カードの決済が広まった。昔は電車に乗るとき、窓口で行き先を告げて切符を手渡しで買い求めたものだ。今は自動販売機から、電子カードが主役となった。 別にその国の言葉を話せなくとも、スーパーマーケットでは買い物ができる。言葉が消えたことによって、「個人」で生活する土壌が造成され、「単身」のライフスタイルが確立したのかもしれない。それでも各国に独自の「お国ぶり」がある。カートを借りるにはコインが必要だったり、ローラーが付いてガラガラと引いて歩くようなビッグサイズの篭が用意されていたりする。  昭和60年には、伊丹十三監督の映画「タンポポ」が公開された。女優の原泉が扮した老婆が、スーパーマーケットのチーズを無言でつぶして歩くシーンがあった。伊丹監督は何を訴えたかったのだろうか。もしかしたら、言葉が消えた現代社会に言葉を取り戻したかったのかもしれない。 今となっては、時間が無くてパリの「迢市場」に立ち寄れなかったことが悔やまれる。しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。文芸ジャーナリスト。朝日新聞社社友。前常磐大学教授。「楽しい食卓を囲める人は、すべて食通」を持論とする。食についてのエッセイを各誌に執筆。天の恵みである食材への感謝とそれを生産、調理する人への敬意を尊重する視点は、料理人からも広く支持されている。「日本文藝家協会」、「日本ペンクラブ」、「食生活ジャーナリストの会」各会員。著書多数。昨年刊行された『食彩の文学事典』(講談社)と『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)が評判を呼んだ。

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