Cha-ble_Vol20
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12名物は遠くにありて想うもの 人気の落語家、柳家三さんざ三のまくらだ。暑い夏も終わって、青森へ仕事に出かけた。新青森駅前にあるリンゴと帆立しか置いていないお土産屋さんに立ち寄って「ふじ」は有りますかと、尋ねたら「ふじは十一月ごろからだね。今の時期は信しなの濃キングだよ」という答え。せっかく青森まで来たのに、信州の特産を買うことは無かろう、と止めたそうだ。 この選択はなかなか難しい。お米のコシヒカリは福井に生まれて新潟で育った。コシは「越」だが、越前(福井)の越で、越後(新潟)の越ではない。美味しいお米の代表として、茨城はもちろん佐賀や熊本など日本中で生産されている。 イチゴの「とちおとめ」も栃木が本家だが、各地で栽培され今や日本一の生産量を誇る品種となった。日本の近代化は全国共通の味覚やファッション、つまり生活文化の平準と「没郷土性」を生み出した。 その土地の特産品を土産にする風習は、古くからある。江戸時代の旅と言えばお伊勢参りだが、旅費を拠出してもらい、集落を代表して参詣に行くケースも多かったから、参拝した「証拠」とお礼の意味で、どうしてもお土産が必要だったのだ。 軽くて保存が利く点から、お札やお守り、野菜の種子、生薬などが多かった。寺社の門前にはお茶屋があり、参詣客は記念として名物の甘味や食事を楽しんだ。例えば伊勢神宮の「赤福餅」や太宰府天満宮の「梅が枝餅」などを思い出してもらいたい。これらはお土産には不向きだ。 ところが、現代では、全国各地いや世界中から、その地方の特産品を居ながらにして手にすることができるようになった。冷蔵や冷凍技術の進歩と流通システムの普及が、最大の理由だ。デパートやスーパーマーケットで各県の特産品を集めて販売する「地方物産展」の催しが盛んだが、最も人気が高いのは北海道展だという。 エキゾチックな「異国」の旅情と文化に憧れを感じているのかもしれない。 ところでキリンビールは全国九つの工場によって味が異なる製品を出荷しているが、来年から全国四十七都道府県ごとに味が違うビールを発売するそうだ。「所変われば品変わる」で、醤油や味噌は土地ごとに味が変わり、料理の調理方法も違ってくる。言ってみれば、「ご当地ビール」の誕生だ。耳に障りがないだけの「地産地消」とか「地方創生」といった言葉は使いたくないが、全国均質化の風潮への反発があるのかもしれない。 地方へ出かけても、その地方でしか手に入らないお土産を探すのは難儀な作業だ。関東地方のスーパーマーケットでは、地元で生産された野菜や地元の港に水揚げされた魚介を近郊の農家や漁師から仕入れるよりも、東京の築地市場から仕入れる方が安くて良い品を大量に集められる、といった嘆きの声が聞かれる。 それでも、私は地方へ行けばスーパーマーケットや市場を必ずのぞくことにしている。その土地の生活があり、土地の風を肌で感じることができるからだ。しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。文芸ジャーナリスト。朝日新聞社社友。前常磐大学教授。「楽しい食卓を囲める人は、すべて食通」を持論とする。食についてのエッセイを各誌に執筆。天の恵みである食材への感謝とそれを生産、調理する人への敬意を尊重する視点は、料理人からも広く支持されている。「日本文藝家協会」、「日本ペンクラブ」、「食生活ジャーナリストの会」各会員。著書多数。昨年刊行された『食彩の文学事典』(講談社)と『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)が評判を呼んだ。

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