Cha-ble_Vol22
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お 弁 当とニッポンその昔、東京オリンピックが開催されたころの高校野球甲子園大会の記憶だ。ネット裏でプロ野球のスカウトたちが球児たちのプレーを追っていた。世間では「あなた、買います」が流行語だった。あるスカウトが自宅から持参したアルマイトの「お弁当箱」は紅ショウガとおぼろ昆布がご飯の上一面に載っているだけだった。幼い高校生に大金を積む陰で、一線を退いた元有名プロ野球選手が質素な弁当を広げていた。日本には昔から多くの物を小型化して愛でる趣向がある。盆栽や雛人形、五月人形がその代表だろう。身近に置いた小さな品から大きな世界を想像し、賞玩する。文庫本も昔は袖しゅうちんぼん珍本といった。「そでの中に入る貴重な宝」といった意味だ。駅弁でも定番の「幕の内弁当」はハレの食卓を軽便にし、携行可能にした。蓋を取るとそこには豊かな「和食の世界」が美しく繰り広げられる。「自然」が巧みに配置されている。「自然」は季節感、色彩感覚と言い換えてもいい。お米の白、野菜の緑、玉子焼きの黄色に海老の赤など、配色の妙が食欲を増し、食べる楽しみをいっそう高めてくれる。白いご飯に黒い胡麻が散っているのも、心憎い演出だ。調理方法も煮物、焼き物、揚げ物、酢の物、和え物から漬物まで、すべてに手の込んだ料理が並ぶ。さらにデザートの甘味から果物まで、行き届いた心配りがある。ある落語家はよく噺のまくらで、「横浜崎陽軒のシウマイ弁当は、実にバランスが取れた格好の弁当」と礼賛する。「どのタイミングで食べたらよいのか分からないアンズ」というところで笑いを取る。江戸時代の茶人、松しょうかどうしょうじょう花堂昭乗は農家の種子入れの箱を「煙草盆」に仕立てて茶事に用いた。大阪の料亭「吉兆」の主人湯木貞一はさる茶席でその盆を「田」の字に仕切り、料理を盛ったところ風流人の評判を呼び、松花堂弁当が誕生した。最近の和食は国際的にも評価され、世界にその存在が知られ始めた。「和食は口だけでなく、目でも食べる」といわれる。四季の移ろいや伝統的な年中行事の意義が、わずかな弁当箱の空間にきっちりと納まっている「幕の内弁当」の美意識は日本が世界に誇るべきもので、よその国では見たことがない。外国を旅行すると、航空機の関係で朝早くランチボックスを渡される時がある。小さなパンにハムとチーズだけ、といった経験をした人も多いのではないか。ほぼ半世紀も前、夏の甲子園球場で私が目にした、あの紅ショウガとおぼろ昆布の弁当にはどんな世界が込められていたのだろうか。近ごろの必要以上に贅を尽くした華やかで豪華な弁当を見ると、人生の虚無と無常をふと感じることがある。しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。朝日新聞社社友。元常磐大学教授。文芸ジャーナリスト。「日本文藝家協会」、「日本ペンクラブ」各会員。『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)など著書多数。左右社のホームページ(http://www.sayusha.com/)に「オンとオフの真ん真ん中=渡辺淳一のこと」を隔週で発信中。12

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