Cha-ble_Vol23
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12築地の食 築地残留か豊洲移転か。「東京の胃袋」を巡る問題は、なかなか解決しそうにないが、今日も築地市場内のすし屋の店の前には、世界中から来た観光客らが長い行列を作っている。実に辛抱強い。ひたすら待っている。 ふとしたきっかけで婦人雑誌の編集者から築地の仲卸に勤め始めたという異色の経歴を持つ福地享子さんが、『あいうえ築地の河岸ことば』(世界文化社)を出版した。本書を読むと、かつて市場内のすし屋は仲卸の社長たち(旦那衆)のサロンだったとある。早朝のセリ場を一周してから寿司の二つ三つをつまんで店に顔を出す。適当なところで番頭にすべてを託し、またすし屋へ。一杯やりながら顔なじみの社長たちと情報を交換する。 そのまま銀座のママの店に流れることもあった。景気のよい時代には築地関係者専用のバーが昼間から営業していた。今はそんな余裕のある社長はいないし、店も無い。社長自ら精を出して働かないと、つぶれてしまう。その昔は社長たちの「たまり場」だった市場のすし屋も、今は外人観光客のメッカとなった。あの行列を見れば、他の店も黙ってはいられない。喫茶店や定食屋におでん屋もすし屋に暖簾を変えた。 築地と豊洲を比較した時、銀座へ数分で歩いて行けるのが、築地の最大の利点だ。場外市場の玉子焼き屋で生まれたテリー伊藤さんは、次のようにいう。 「母親は築地を歩くときは割烹着にサンダルばきだったが、銀座に行くとなると着物を着て化粧をしていた」 この落差が築地の魅力でもある。銀座側から見れば、築地は「異世界」だ。魚のうろこや血が付いた作業着にゴム長靴の築地スタイルのお兄さんとスーツにネクタイをしたサラリーマンが隣り合わせで食事をしているのが築地だった。いってみれば場内の食堂は築地に働く人たちの「社員食堂」なのだ。他人の会社の「社員食堂」に、ずかずかと入り込んでいる。 積み上げられた使用済みの発泡スチロールのトロ箱からにじみ出る独特の魚の匂いと隅田川河口からくる潮風がアペリティフ(食前酒)だった。このアペリティフが苦手な人には、築地の食事を勧められない。 すしは世界中に知られる食べ物となった。しかし外人観光客のほとんどは、鮪(マグロ)とサーモンしか食べない。また魚についての知識をほとんど持ち合わせていない。もったいないことだ。 豊洲への移転を見越して、築地の場外市場に「築地魚河岸」という新しい商業施設がオープンして、すでに営業を始めている。もちろんすし屋もあるし定食屋も入っている。一般の人も新鮮な魚介や加工品を買える。今や「世界の胃袋」といっても良い築地は「永遠に不滅」なのかもしれない。しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。朝日新聞社社友。元常磐大学教授。文芸ジャーナリスト。「日本文藝家協会」、「日本ペンクラブ」各会員。『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)など著書多数。左右社のホームページ(http://www.sayusha.com/)に連載している「オンとオフの真ん真ん中=渡辺淳一のこと」は、6月から再開の予定。

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