Cha-ble_Vol24
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お 惣 菜処理もある。キャベツのせん切りを付け合わせに添えたいし、ソースか醤油もいる。もっとも江戸時代から「煮売り屋」といって、焼き豆腐やコンニャクにレンコン、ゴボウなどの煮しめに煮魚などを大皿に盛って売っていた。なかでも煮豆が人気だった。煮売り屋が流行ったのは一六五七年の明暦の大火以来といわれる。江戸の三分の二が燃え尽くされ、地方から大勢の職人が復旧のために乗り込んできた。圧倒的に男性が多く、外食文化の始まりでもあった。現代は男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出が著しい。男女とも家庭での食事の準備に費やす時間を出来るだけ減らそうと努力している。日本に限らず、先進国には共通の世界的な傾向だ。三十年も前からだろうか。「中食(なかしょく)」なる言葉が広く持てはやされた。昔は中食と書いて「ちゅうじき」と読んだ。江戸時代までは一日二食で、朝と夜の間の空腹時に食べる軽食の意味だったが、やがて「ちゅうしょく(昼食)」へと変化する。現代の中食は外食でもなく家で作るご飯でもない、出来合いの総菜を指す。最近ではスーパーマーケットに限らずエキナカ(駅の中の意味だ)やコンビニエンスストアでもお弁当や惣菜の店が増えた。コンビニの普及は中食文化を広げるのに貢献した。昔はあまり見かけなかった高齢者の人たちの利用も多い。品揃えも豊富で、しかも少量単位が泣かせる。少子高齢化社会では量が多いと、もてあましてしまう。肉食が盛んな外国でもシャルキュトリーといって、肉類から造られたハムやソーセージ、パテなどの加工品を売る店が古くからある。魚食が中心の日本では、昔から魚屋に「仕出し」という看板が掛かっていた。出前という文化も日本で生まれた。昨今の惣菜業界はホテルや一流料亭に外国からは高級食料品店も参入し、ブランド化が進んでいる。まさに百花繚乱のにぎわいだ。海外の大都市のスーパーには必ずといっていいほど、握り寿司がパックに詰められてケースに並んでいる。肉屋のコロッケに雀躍とした当時の日本人と同じ興奮を彼の地の人も感じているのだろう。しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。朝日新聞社社友。元常磐大学教授。文芸ジャーナリスト。「日本文藝家協会」、「日本ペンクラブ」各会員。『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)など著書多数。左右社のホームページ(http://www.sayusha.com/)に「オンとオフの真ん真ん中=渡辺淳一のこと」を隔週で発信中。東京の東銀座に銚子出身の人が始めたチョウシ屋という肉屋がある。昭和二年に当時ハイカラだったコロッケを店で揚げて売り出した。大変な評判を呼び、警官が出て交通整理に当たるほどだった。考えてみれば手軽で便利なこと、この上ない。肉屋の惣菜はまたたく間に大流行となった。もし家で作るとなれば大騒動だ。ジャガイモを茹でてつぶし、ひき肉を買ってこなくてはいけない。小麦粉、溶き玉子にパン粉、揚げ油が必要だ。揚げた後の油の12

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