Cha-ble_Vol27
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憶です。小濵 大変でしたね。震災の前と後で、考え方は変わりましたか? 岩佐 一番変わったのはリスクの取り方です。それまではかなり慎重でしたが、震災で周囲の人をたくさん亡くしたこともあり、いつ終わるか分からない人生の中で動かないことの方が大きなリスクと考えるようになりました。漫然と時間を過ごせなくなったんです。小濵 震災直後はどんな活動をしていたんですか?岩佐 最初は東京から宮城まで通い、ボランティアで津波にあった家の泥かきをしていました。もともと山元町はイチゴの産地でしたが、129軒あったイチゴ農家のうち残ったのは4軒だけ。125軒が流されました。 そこで自分たちが得意なマーケティングやブランディング手法で農家を支援しようと施策を提供したんですが、地域のしがらみがあって受け入れられませんでした。それなら支援ではなく、自分たちが農業をやろうと農場を立ち上げたんです。 ハウスを建てるのに5億円の事業費が必要だったので、3億円は補助金でまかない、残りの2億円は個人保証で銀行から借りました。食と農で地域を豊かに小濵 未経験の農業に2億円の借金とは思い切りましたね。イチゴに対する格別な思いがあったんですか?岩佐 祖父の代までイチゴ農家でしたが、両親は公務員でした(笑)。 ただ一つ思っていたのは、農村や農業を何とか変えたいと。食と農を通じて地域を豊かにすることを本当にやりたいと。それはもう志というか、人生を賭けてやりたいと本気で考えました。 経営って、その活動が社会にどれだけ資するかが重要で、そこが出発点じゃないと進めないことに気がついたんです、震災を機に。小濵 経営者は志が大切です。志がなければ起業できないし、継続もできない。サスティナブル(持続可能)の根本は志ですよ。 実は、私が岩佐さんに会いたいと思った理由もそこにあります。一つには共生社会の実現。二つ目にデジタル社会への対応。三つ目に産業や雇用づくりを目的とした地域社会への投資。岩佐さんはこの三つに志をもって取り組んでおられる。その姿に共鳴したんです。これらは今カスミが取り組んでいる経営課題とも合致しています。岩佐 光栄です。匠の技とITの融合小濵 地域活性化といっても、伝統的な匠の技とIT技術を融合させるのは簡単じゃない。成功の条件は何ですか?岩佐 イチゴづくり40年のベテラン農家と一緒に始めたんですが、とにかく頑固な人で、IT化には猛反対でした。小濵 そうでしょうね。岩佐 産業として育て、この町に雇用をつくるためにイチゴの作り方を教えてほしいと頼んでも、「ばか野郎! イチゴっていうのはイチゴと会話しながら覚えるものだ」と怒鳴られました(笑)。小濵 わかるなぁ。岩手県宮城県福島県茨城県◦山元町◦陸前高田市◦つくば市湿度や二酸化炭素量など全農場の環境はITで一括管理されている東日本大震災で津波の被害を受けた山元町(宮城県)にあるGRAのイチゴ農場

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