Cha-ble Vol28
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万葉集と令和しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。文芸ジャーナリスト。朝日新聞社社友。元常磐大学教授。「日本文藝家協会」、「日本ペンクラブ」会員。著書に『食彩文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと―渡辺淳一と編集者の物語』(左右社)が好評発売中。多くの先輩から、命の根源である酒食の真髄を学んだが、亡くなった風間完画伯もその一人だった。今の季節、牡かき蠣がおいしくなってきたが、「牡蠣のミルクしゃぶしゃぶ」を教わった。牛乳を加えた薄い塩味の出汁を鍋にはり、牡蠣をしゃぶしゃぶの要領で軽く火を通す。具はほうれん草を茹でておくだけ。他には、せいぜい豆腐ぐらい。日本酒はもちろん、ワインにもよく合う。この料理のルーツは奈良地方の名物、飛あすかなべ鳥鍋にもある。牛乳は万葉の時代から親しまれている。飲むだけでなく、煮詰めて保存する酥そとか醍だいご醐といったチーズに似た加工食品もあった。新しい元号「令和」は万葉集に収められた大おおとものたびと伴旅人の歌から生まれたことは広く知られている。旅人の生涯は起伏に富んだもので、順風満帆な人生とは言いがたい亡妻の悲傷を酒にまぎらしたともいわれているが、大の愛酒家で酒を讃えた歌を多く残した。酒を飲まない人は猿に似てくるとか、一緒に飲みかわさなければ本当の友情は生れて来ない、などと酒を礼賛している。酒が詠われているということは、当然お米を詠んだ歌もある。万葉集の編集に有力な役割を果たした旅人の息子、大おおとものやかもち伴家持は「姿は雲に隠れて泣き声しかしない雁が秋の茂った稲穂に降り立った。その稲穂が揺れるように、あの女のことがしきりに想い起こされる」と詠った。家持は諧謔精神に富んでいるのか、友人の吉よしだのいわまろ田石麻呂があまりに痩せているで、「夏痩せに利く武むなぎ奈伎(鰻)でも食ったらよかろう」と、痛烈にからかっている。また幅広い作風で知られる山やまのうえのおくら上憶良には、「瓜を食べると、子どものことが思い浮かんでくる。栗を食べると、子どもはどこから来たのか、と愛おしくなり、子どもの姿が目に浮かんできてなかなか寝付けなくなる」と詠んだ歌がある。そこには食べ物に託して自分の心情を吐露する日本人の優しい心根がある。文学精神といってもいい。昨今の「なにが旨いの、これが絶品だ」などといった軽薄なグルメ連中とは一味も二味も違う。万葉の時代の食べ物といえば、決して豊かではなかったにせよ、葛くずの根からでんぷん質を取り出し、葛粉にする知恵を生み出した。今を流行りのタピオカと親戚のようなものだ。日本人の食に対する強い好奇心と美味を追求する知恵は、すでに万葉の時代から生れている。令和の時代に「牡蠣のミルクしゃぶしゃぶ」を食べていると、はるか古いにしえの時代に思いは翔び、また遠い異郷の地から明治時代に洋食として日本にもたらされた「牡蠣グラタン」にも感謝の念が湧いてくる。食を通じて悠々たる歴史と遥かなる地球の広がりを感じるのだ。文=重金 敦之12

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