Cha-ble_Vol29
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12家飲み 酒仙として名高い李白に「月下独酌」という詩がある。一人寂しく飲んでいたら、月と自分の影が加わり、仲間が三人となった。しかし月は勝手に動くし、舞を舞っても、影は揺らめくばかりだ。 酒飲みはどうして群れたくなるのだろう。古来一堂に会し、全員が同じ料理と酒で結婚や誕生を祝福し、また逝った人を哀惜するところから酒は生まれた。 その昔は宴会で献酬という習慣があった。同じ酒を同じ酒器で飲みかわす。多くは日本酒で地方によって流儀が異なるが、出席者に上下の関係があれば、最初に上の者が下の者へ杯を与える。頂戴した方は飲み干して返杯する。近頃はこの種の酒席が減ってきた。 同じ杯というのは衛生的に見ても問題がある。日本酒だけでなく、ビールやワイン、焼酎など酒の選択肢が増えた。やくざの兄弟固めの杯みたいで、いかにも古臭い。女性は特に苦手のはずで、日本酒の衰退と関係があるのかもしれない。 コロナ禍の結果、自宅で飲む人が増えた。家飲み、独酌である。一人では面白くないと思う人のためにリモート(オンライン)飲み会なる飲み方が出現した。パソコンやスマホで相手の顔を見ながら飲む。人数はあまり多くてもだめで五、六人がよく、大皿の料理はふさわしくないとか、それなりに工夫と流儀があるようだ。  さる駅前の居酒屋の常連客たちが銘々の家で、店にある酒を用意して飲んでいる情景をテレビの報道番組で観た。店のメニューを頼むと、アルバイトが出前をしてくれる。いつもの店で飲んでいるのと変わらない。よほど一人で飲むのが辛いようだ。会合や仕事などは別だが、私はだいたい外で飲む時は一人が多いので少しも苦にならない。 鎌倉文士の典型ともいえる里見弴はしばしば自宅に客を招き、樽酒の会を催したが、人に酒を注ぐのも、注がれるのも嫌いだった。酔っていく自分のペースを守りたかったのだろう。かといって席に酒が足らなくなるのは許せない。常に卓上の酒の量には気を配っていた。 逆に人に酒を注ぐのが大好きという人がいる。また手酌が嫌いで絶対に自分では注がず、人が注いでくれるまで飲まずに待っている面倒な御仁もいる。 酒の流儀は人それぞれ勝手に飲むから面白いのだ。リアル飲み会の楽しみを否定する気は毛頭ないが、日本人はそんなに「人恋しい」民族だったとは知らなかった。一人飲みが敬遠されるのは、「日本にはまだ個人主義が確立していないから」といったら、いい過ぎか。 自分の心情を理解できない月を相手に飲んでいても、やがて天の川の一隅で再会できるかもしれないじゃありませんか。しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。文芸ジャーナリスト。朝日新聞社社友。元常磐大学教授。「日本文藝家協会」、「日本ペンクラブ」会員。著書に『食彩文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと―渡辺淳一と編者者の物語』(左右社)。近く『落語と日本語』(仮題)を刊行の予定。

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