Cha-ble Vol30
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12厄除けと食べ物その昔、池波正太郎さんと京都を旅した折、急に紫野の今宮神社へ誘われたことがある。門前の茶店で名物のあぶり餅を食べた。平安初期に都で猛威を振るった疫病のお祓いに用いた竹やお供えの餅を参拝客に振る舞ったのが始まりとされる。一和とかざりやの二軒が並んでいるが、どちらだったかは記憶にない。細い竹串に親指ほどのつき立ての餅を刺し、きな粉をまぶして炭火で焼き、白味噌のきいたたれをつける。時計が止まったような光景だった。池波さんは小説のヒントを得たかったのかもしれない。京都の市内を散策していると、町家の玄関の上にちまきが祀られている。毎年夏に行われる祇園祭に因み八坂神社が授与し、巡行する山や鉾の保存会でも独自のちまきを販売する。祇園祭は平安時代に流行した疫病の退散を祈願して六十六本の鉾ほこを立てたのが始まりとされる。今年は新型コロナウイルスの影響で山鉾巡行は中止となったが、各家庭では縁起物だから年に一回は新調したい。神社や保存会はネットで注文を受け付け、八坂神社では特に期間を七月末まで延長して郵便で発送した。このちまきは笹やわらを編んだお守りで、食べられない。餅や餅米を粉にして練り、笹の葉で包んで蒸しあげるちまきは仏教とほぼ前後して奈良時代に中国から伝来した。疫病が流行る夏を迎え、無病息災を祈って端午の節句に好んで用いられた。昔は各家で節句の時につくったのだろう。関西はちまきで、関東は柏餅が盛んだ。左京区の下賀茂に御おんちまきし粽司を名乗る川端道喜なる店がある。創業は永正年間というから五百年の歴史を誇る老舗だ。自分の屋号に御の字をつけるのは「宮中御用」という意味で、別に自慢しているわけではない。今でも本葛を用いた白い水仙ちまきと小豆の羊羹ちまきを売っている。餅は神に供える特別の食べ物だった。小豆もその赤色から邪気を払うとされ、慶事には赤飯を炊く。一月十五日の小正月の朝には小豆と餅の入ったお粥を食べる。六月には京都の菓子屋に「水み無なづき月」が登場する。三角に切ったうすい白外ういろう郎に甘く煮た小豆が載っている手軽な菓子だが、外郎は氷をイメージし健康で暑さを乗り切る願いが込められている。厄除けの祈りを込めて餅や団子を名物とする神社は全国に多い。京都の上賀茂神社には大福を鉄板で焼いたような葵あおい餅、北野天満宮は長五郎餅と粟餅、博多の大宰府天満宮の梅ヶ枝餅などだ。コロナ騒動は収まる気配がない。別に神仏にすがるわけではないが、昔から継承してきた食べ物に敬意を表し、次の世代に伝える心意気さえ忘れなければ、厄災は必ず退散していくに違いない。しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。文芸ジャーナリスト。朝日新聞社社友。元常磐大学教授。「日本文藝家協会」「日本ペンクラブ」会員。著書に『食彩文学事典』(講談社)、『淳ちゃん先生のこと―渡辺淳一と編者者の物語』(左右社)など多数。最新刊『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が絶賛発売中

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