cha-ble vol35
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 ❶❷ ら❸❹   ❺❻             ❸❷❶3ここにしかない椎茸後継ぎがいない地域の宝けしょんくろう2022年から第三者継承※2という形で川島さんが事業継承し、新たに再出発した田村きのこ園。親方の田村さんも現場に残り、二人三脚で運営している。「設備や技術を引き継げるので、私のような新規就農希望者にはメリットが大きいです」と第三者継承の利点を語る川島さん。農園のサイトやパッケージは大学時代に知り合った奥さんがデザインした。SNSでの情報発信や販売サイトの開設など、新しい取り組みも始めている。「親方」「川島くん」と呼び合う二人。年齢差55歳。さながら祖父と孫のようだ。「ぶつかることもありますが、意見が異なるのは当たり前。適度な距離感と互いへのリスペクトを大切にしています」と川島さん。幼い頃から自然や生き物が好きで、自然の中で食べ物をつくって生きる農業に憧れた。その農業が衰退していく様に疑問を感じ、農業経営を学んだ。北海道で見た大規模営農に解決策を求めた時期もあったが、今は見つめる先がちがう。「地域に根ざした農業が続いていくことが一番いいんじゃないかな。その土地ならではの産品は地域の宝ですから」「農業で生きていく」。大学の研究室にいても、金融機関で仕事をしていても、その想いが揺らいだことはなかった。川島拓ひくさんは、筑波大学を卒業後、金融機関に就職し、北海道で2年間農業融資に従事する。その後、新規就農を目指して故郷の茨城にUターンしたが、あてにしていた補助金が受けられず就農プランをいったん白紙に。そんな時、たまたま知った笠間市の「地域おこし協力隊」※1への応募が運命を変えることになる。「とにかく大きさのインパクトが強くて。でも、食べたら衝撃はもっと強かった。こんなにおいしい椎茸が地元にあるのかと」以来、農園に通い始めた川島さん。「茸たう匠」と呼ばれる椎茸づくりの名人・田村仁じ久郎さんに弟子入りを志願する。田村さんは茨城県笠間市の山あいで、18歳から65年以上にわたって味と大きさにこだわる「福王しい茸」を栽培する田村きのこ園を営んできた。こだわりの菌床栽培が生み出すのは肉厚のジャンボ椎茸。味も香りも濃く、まるでアワビのような食感が特徴。昭和天皇の献上品に選出されたほか、豪華寝台特急「四季島」の人気メニューにも使用された。ジューシーな旨味が総料理長に高く評価された。ここにしかない椎茸だ。ところが、その「福王しい茸」がピンチだった。田村さんは奥さんと続けてきた椎茸づくりを、自分の代で終わりにするつもりでいた。三人の息子さんたちはそれぞれの道に進み、農家を継ぐ意志はなかったからだ。それを知った川島さんにスイッチが入った。「頭が切り替わりました。福王しい茸を残したい!って」弟子入りして間もない川島さんに試練が訪れる。親方の田村さんが菌床の仕込みの真っ最中に1カ月入院。仕込みに失敗すれば一年分の収穫がなくなる。任された川島さんの格闘が始まる。「なんとかしなきゃ、とにかく必死でした」危機を乗り切った川島さん。その姿に退院してきた親方は「農園を任せよう」と決意した。❶「田村きのこ園を引き継ぎたい」と申し出た川島拓さん❷その真剣な姿勢に「やってみろ!」と親方の田村仁久郎さん❸❹おがくずや米ぬか等を独自に配合してつくる菌床に椎茸❺「福王しい茸」の出荷は9月末〜5月中旬。通常の倍以上の時間をかける菌床栽培のため通年出荷はできないが味が格段に良くなるの菌を植え付けて生育させる菌床栽培❻田村きのこ園のホームページや干ししいたけのパッケージは奥さん(右)のデザイン。二人が着ているオリジナルTシャツは地域おこし隊の先輩がデザイン※1 地方自治体の委嘱を受け、地域で生活しながら地場産品の開発やPRなど地域協力活動を行う取り組み。 ※2 後継者のいない事業を継続させるために親族や従業員以外の相手に事業を引き継いでもらう手法。❶直径10cm、厚さ3cmの「福王しい茸」❷その名前には「おいしいものを食べて『福』を呼び込んでほしい」という願いが込められている❸茨城県笠間市の山あいにある田村きのこ園の直売所、生産性より味を追求した肉厚で旨味のある「福王しい茸」を求めてお客さまが訪れる本誌3ページに掲載の、田村仁久郎様(田村きのこ園代表)が、このたび永眠されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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