なじみのスーパーマーケット数年前、短期間の入院生活を経験した。病院の食べ物に不満を訴えるのは愚かな所業かもしれないが、日夜なじみのスーパーマーケットの店内の光景をベッドの中で思い浮かべていた。野菜売り場の横には麺や乾物のコーナーがあり、鮮魚、精肉に続いていく。退院したら絶対に食べるぞと渇望した料理が次から次へと脳内に現れる。鯛を一尾買い求めて鯛ちりにした後、雑炊にするかうどんを入れるか、などと詮無いことを考えていた。先日改装中とかで休業していたなじみのスーパーマーケットを訪ねたら、店内の様子がすっかり変わっていた。セルフレジのスペースが広くなり、慣れない手つきで客がバーコードをセンサーにかざしている。店舗間の競争が激しく、郊外には超大型店が増える一方で、コンビニエンスストアよりは大きくスーパーマーケットよりは小さいミニスーパーマーケットが雨後の竹の子のように増殖中だ。ミニスーパーマーケットは狭い店内を有効に利用するため「圧縮陳列」と称して天井近くまで商品が並んでいる。高齢者には大(時間対効果)というのだとか。材料の肉や野菜を揃えるだけでも大変な苦労だ。買った品を運ぶのも重いし、使い切るのが難しいから無駄(ロス)が生じる。「食品ロス」だ。生産地から出荷する段階でサイズを一定にするため切り揃える必要がある。卸市場、小売店でもそれぞれ目減りしていく。最終段階の消費者でも無駄が出るのではやりきれない。冷凍食品の品揃えも増えた。つくりかたも変化している。顆粒状の出だし汁(コンソメや中華スープ)を粒のまま鍋に入れるのも当たり前になった。パスタだって茹でずに電子レンジで調理する方法をテレビの料理番組が放送する時代だ。調理に要する時間は飛躍的に短くなった。かつてはズボラとか手抜きと非難されたのが、最近では簡単、お手軽ともてはやされる。タイム・パフォーマンスなじみの店内を歩きながら、つくる料理をイメージした時代が懐かしい。超高齢化社会に加えて、働き方生き方の変化がもたらした必然かもしれない。いつの世もスーパーマーケットは進化し続けている。型店を歩きまわるのが辛いが、高いところの商品を探すのも腰に負担がかかる。余裕がないから店内の光景をゆっくり思い浮かべる楽しみがなくなった。り場が飛躍的に広がった。女性の社会進出に加え、高齢者のお客が増えたことも理由だ。老々介護とかで、今まで台所に入ることなぞ考えもしなかった老人男性も慣れない手つきで料理するご時世になった。少人数の家族だから焼そば一つつくるにしても、また惣菜、お弁当など調理済み料理の売しげかね・あつゆき1939年東京生まれ。文芸ジャーナリスト。朝日新聞社社友。元常磐大学教授。日本文藝家協会、日本ペンクラブ会員。著書に『食彩文学事典』(講談社)『淳ちゃん先生のこと―渡辺淳一と編者者の物語』(左右社)『落語の行間 日本語の了見』(左右社) など多数。 12
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